歴史

東京徳島県人会小史

江戸は諸国の吹きだまり」という言葉があるように、東京は昔も今も各地方の出身者が寄り集まっている寄り合い所帯の都市。

東京の総人口の中で三代続いている「純東京人」、いわゆる「江戸っ子」は10パーセント前後ではないかといわれている。従って東京には、組織や活動に大小の差はあるもののほとんどの府県の県人会がある。東京徳島県人会は、昭和15(1940)年の会員名簿に収載されている「緒言」によれば、明治20(1887)年ごろに「阿淡春秋会」というのがあり、 それが発展して大正15(1926)年に現在の東京徳島県人会が発足した。

この「緒言」の筆者は鈴江近太郎(1875~1954)である。鈴江は徳島市出身で、特許事務所を経営、当時県人会の事務局を同事務所内に置き、理事長を務めていた。

緒言を記した理由を「(県人会の)来歴ヲ後人二伝ヘンガ為メニ記載スルモノナリ」と述べている。

それによると「阿淡春秋会」は、徳島藩最後の第14代藩主・蜂須賀茂 韶(当時侯爵。1846~1918)を中心にして、その所領であった阿波・淡路出身の有志が集まって春秋2回例会を開いていた。

幹事は茂韶の意向によって選ばれ、長久館(徳島藩の藩校)国学教授、東京美校教授、東大講師(歴史家・文学博士)などを務めた小杉榲 邨(徳島市出身。1834~1910)が常任幹事、西野嘉右衛門、森六郎、三木與吉郎、藤田友三郎ら約1O人が幹事を務めたという。いずれも当時の有力者である。

会場も芝の紅葉亭・両国の福井楼・茅場町の草津など当時の一流料亭で茂韶は毎回出席、正面の上座に着席し、その左右に陸海軍の高級将校・勅任官・奏任官・平民の順に並んだ。

会費は3円50銭~4円、蜂須賀家から酒や金一封の寄付があり、芸者さんが座をもった。

毎回70人くらい出席したというが、当時の座順、当時としては高額の会費などから考えて、徳島と淡路島出身の当時の資産家や高級官僚が旧藩主を囲んで宴を催した、

現在の県人会とは、およそ縁遠い一部の人たちの親睦会であったようである。

このため茂韶死去後、会は一時中断、大正10年ごろに赤沢政助(阿波町(現阿波市)出身。1884~1971)が徳島県人会を組織したが、同12年の関東大震災で県人会どころではなくなったようで、

大震災で壊滅した東京がようやく復興した同15年、新たに東京徳島県人会が生まれた。鈴江は緒言の中で「大震災二当リ相当活動ノ便アリシニヨリ大二県人ヲ糾合シ相互懇親ヲナスヘキ機関ノ必要ヲ感ジタリ、

此時山口安憲(徳島市出身。元石川県知事。1887~1962)、鈴江近太郎等斡旋シテ在京徳島県人会ヲ起シ」と記している。

また四宮久吉(石井町出身。1895~1980)は雑誌「徳島」第2号=昭和26年3月 東京・徳島倶楽部刊=に寄稿した「東京徳島県人会その歩みと今後について」の中で、「大震災に遭遇し、県人相互が協力して被災者救済のため、いろいろ連絡し世話しあって、非常に効果があったことが動機となって、なんとか県人会相互の親睦と災厄等などの場合助け合う機関として県人会を創立したいという声が有志の間に起こり」設立されたと述べている。

四宮はこの文を寄稿した当時東京都議会議員(のち衆議院議員)で県人会の理事長である。


創立総会は、大正15年1月24日、日比谷の松本楼で開かれ、会長にわが国の薬学発展に功があった元東大名誉教授(理学・薬学博士)長井長義(徳島市出身。1845~1929)、副会長に安藝晋(鳴門市出身。元陸軍中将。
1873~1947)、理事長に鈴江、副理事長に久保義八郎(石井町出身。剣道家。元明治鉱業支配人。1889~1949)を推挙した。

その当日、会場屋上で撮影した記念写真を東京・田無市の佐藤彦次郎(市場町出身)が保存している。

長井会長と蜂須賀正韶(茂詔の長男で、当時貴族院副議長。1871~1932)を中心に98人が並んでいるが、佐藤によれば写っていない人があと10人くらいいたという。
以後、別表のように年2回総会を開催しているが、正韶は創立総会以来、総会には毎回出席、県人会と東京淡路会が連合して会を開いたり、三田網町の私邸で園遊会を催したりしたこともあった。

しかし正韶死去後、後を継いだ正氏(正韶の長男、鳥類研究家。1903~1953)の代になってから次第に蜂須賀家と県人会との間は疎遠になり、それに伴って淡路会との連合の会も少なくなった。
また、昭和12年に日中戦争が勃発、同14年12月に開いた総会を最後に、戦時中は中断のやむなきに至った。この間、出征兵士や戦病死者、それに戦災に遭って疎開する者が年を追って増加、一時は会合する代わりに郷土出身の傷病兵を慰問したりしたこともあったが、戦争の激化でそれもできなくなった。

いまさらながら暗い時代を感じさせる。
戦後初の総会が開かれたのは昭和22年7月25日で、会場は当時逓信大臣であった三木武夫(土成町(現阿波市)出身。元首相。1907~1988)の公邸=渋谷・代官山=である。そのころには戦時中、郷里に疎開していた人や出征していた人たちがぼつぼつ東京に戻りはじめ、山口安憲・井口誠一(脇町(現美馬市)出身。元日本加工製紙社長。1885~1958)・中西敏二(徳島市出身。元東京都議会議長。1884~1973)・四宮久古らが相談して、三木の大臣就任祝いを兼ねて再開。

この総会には約40人が参加、新たに会長に上記の山口、副会長に井口と中西、理事長に四宮を選び、新発足した。
創立総会で長井を会長に選任して以来、戦前・戦中の会長は大山卯次郎(徳島市出身。外交官・元サンフランシスコ総領事。1870~1939)・安藝晋・秋田清(池田町(現三好市)出身。元衆議院議長。1881~1944)、戦後山口の後は原安三郎(徳島市出身。元日本化薬社長。1884~1982)・堀江薫雄(鴨島町(現吉野川市)出身。元東京銀行頭取。1903~2000)・今川彦二(鷲敷町(現那賀町)出身。元住友大阪セメント社長。1923~2009)・金山良治(徳島市出身。元西松建設社長。1929~)・安崎暁(鴨島町(現吉野川市)出身。小松製作所顧問。1937~)。理事長は四宮に次いで福富恒樹(阿波町(現阿波市)出身。元東京都経済局長。1903~1980)・東徹(徳島市出身。弁護士。1912~2001)・宮繁護(阿南市出身。元国土庁事務次官。1925~)・遠藤哲也(石井町出身。外交官・元駐ニュージーランド大使。1935~)・吉本修二(土成町(現阿波市)。元大蔵省造幣局長。1941~)と続き、現在の犬伏泰夫会長・山岡祥宏理事長は平成24年度から就任した。
総会の参加者は昭和37年以降200人を越え、一時は500人近くの参加があったもののここ数年は会員の変動などによって頭打ちの傾向が感じられないでもない。

県人会は多数の参加者があり、会員があってこそ郷土との結び付きが強まり、活動が活発になって、その存在意義が深まる。本名簿に漏れている県人をご存じの方は事務局までご連絡願うとともに、県人2世、3世の参加を期待したい。


(以上敬称は略させていただきました)

 

県人会小史(146KB)

東京徳島県人会歴史

戦前・戦中の東京徳島県人会の主な会合

年月日会場会合名
 大正15・1・24 日比谷松本楼 創立総会
 11・28 丸の内海上ビル中央亭 第2回総会
昭和2・5・3 同上 第3回総会
9・22 帝国ホテル 蜂須賀正氏帰国歓迎会
11・27 神宮外苑日本青年館 第4回総会
昭和3・6・3 丸ノ内海上ビル中央亭 第5回総会
7・6 華族会館 秋田清内務政務次官就任祝賀会
11・17 丸ノ内海上ビル中央亭 第6回総会
昭和4・7・12 神田小川町今文 山口安憲鹿児島県知事就任祝賀会
11・24 小石川後楽園 第7回総会
昭和5・2・12 赤坂溜池鳴門 蜂須賀正氏渡欧送別会
10・9 日比谷松本楼 第8回総会
昭和6・4・27 九段偕行社 第9回総会
12・4  同上 第10回総会
昭和7・6・24 新橋蔵前工業会館 第11回総会
7・27 芝浦いけす 山口安憲石川県知事就任祝賀会
10・29 新橋蔵前工業会館 第12回総会
昭和8・5・14 国技館 第13回総会兼吉野岩(力士)後援会
11・25 蜂須賀邸 第14回総会兼阿淡連合園遊会
昭和9・6・6 軍人会館 第15回総会
11・18 新橋蔵前工業会館 第16回総会
昭和10・6・8 清澄庭園 第17回総会兼阿淡連合園遊会
11・23 蜂須賀邸 第18回総会
昭和11・10・7 幸楽 第19回総会
昭和12・10・16 吉野屋 第20回総会兼阿淡連合会
  (この間、傷病兵慰問事業を続行)  
昭和14・11・18 植物園 第21回総会兼郷土傷病兵慰安会
12・17 醍醐 第22回総会兼秋田清入閣祝賀会
     
     

(以後・戦後昭和22年7月25日に再開されるまで中断)=敬称略

歴代役員

役員総会
会長副会長理事長日時会場
昭和22 山口 安憲     7月25日 逓信大臣官邸
昭和23  〃     7月31日 護国寺
昭和24  〃 中西 敏二、四宮 久宮、井口 誠一、天羽 英二、工藤 昭四郎   5月13日 護国寺
昭和25   12月6日 明治記念館
昭和26   11月23日 参議院会館
昭和27      
昭和28   9月12日 清澄庭園
昭和29   7月3日 プリンスホテル
昭和30 原 安三郎 福富 恒樹 10月23日 品川プリンスホテル
昭和31 11月17日 赤坂プリンスホテル
昭和32 10月12日 赤坂プリンスホテル
昭和33 天羽 英二、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、中西 敏二 11月15日 大隈会館
昭和34 天羽 英二、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、中西 敏二、堀江 薫雄 11月7日 都市センター
昭和35 11月26日 都市センター
昭和36 11月25日 八芳園
昭和37 12月1日 八芳園
昭和38 11月30日 都市センター
昭和39 11月23日 椿山荘
昭和40 11月20日 椿山荘
昭和41 11月12日 椿山荘
昭和42 11月25日 椿山荘
昭和43 10月19日 勤労福祉会館
昭和44 10月25日 椿山荘
昭和45 8月8日 椿山荘
昭和46 11月27日 高輪プリンスホテル
昭和47 工藤 昭四郎、四宮 久吉、 中西 敏二、堀江 薫雄 11月28日 椿山荘
昭和48 11月10日 サンケイ会館ホール
昭和49 11月9日 サンケイ会館ホール
昭和50 阿部 賢一、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、堀江 薫雄 10月4日 椿山荘
昭和51 10月2日 椿山荘
昭和52 9月10日 椿山荘
昭和53 阿部 賢一、四宮 久吉、 堀江 薫雄 10月28日 椿山荘
昭和54 堀江 薫雄 阿部 賢一、四宮 久吉 11月24日 サンケイ会館ホール
昭和55 阿部 賢一、阿部 譲、 福田 久雄 東 徹 11月22日 サンケイ会館ホール
昭和56 11月21日 サンケイ会館ホール
昭和57 11月13日 サンケイ会館ホール
昭和58 11月19日 サンケイ今館ホール
昭和59 堀江 薫雄 阿部 譲、大塚 正士、 廣岡 謙二 11月17日 サンケイ会館ホール
昭和60 11月9日 サンケイ会館ホール
昭和61 11月8日 サンケイ会館ホール
昭和62 11月7日 サンケイ会館ホール
昭和63 11月12日 サンケイ会館ホール
平成元 11月11日 サンケイ会館ホール
平成2 今川 彦二、大塚 正士、 武原 はん、廣岡 謙二 11月17日 サンケイ会館ホール
平成3 11月16日 サンケイ会館ホール
平成4 今川 彦二 東 徹、大塚 正士、曽我部 久、 武原 はん、廣岡 謙二 宮繁 護 11月7日 サンケイ会館ホール
平成5 11月6日 サンケイ会館ホール
平成6 11月5日 サンケイ会館ホール
平成7 10月21日 サンケイ会館ホール
平成8 東 徹、大塚 正士、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、武原 はん 10月19日 京王プラザホテル
平成9 10月18日 京王プラザホテル
平成10 東 徹、大塚 正士、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久 10月17日 京王プラザホテル
平成11 遠藤 哲也 10月16日 京王プラザホテル
平成12 東 徹、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、宮繁 護 10月14日 京王プラザホテル
平成13 金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、宮繁 護 10月20日 京王プラザホテル
平成14 10月12日 京王プラザホテル
平成15 10月25日 京王プラザホテル
平成16 金山 良治 篠原 良男、宮繁 護 10月3日 明治記念館
平成17 10月10日 明治記念館
平成18 宮繁 護、安崎 暁 10月22日 ホテルグランドパレス
平成19

10月6日 明治記念館
平成20 安崎 暁 犬伏 泰夫、遠藤 哲也 吉本 修二 10月12日 ホテルグランドパレス
平成21 10月21日 ホテルグランドパレス
平成22 10月9日 椿山荘
平成23 10月22日 有明ワシントンホテル
平成24 犬伏 泰夫 橋本 圭一郎、遠藤 哲也、吉本 修二 山岡 祥宏 10月21日 有明ワシントンホテル
平成25    〃 10月20日 有明ワシントンホテル
平成26 橋本 圭一郎、遠藤 哲也、吉本 修二、山岡 祥宏 仁尾 徹 10月13日 学士会館
平成27                    〃    〃 10月12日 学士会館
平成28 橋本 圭一郎 宮田 孝一、遠藤 哲也、山岡祥宏 坂東 自朗 10月10日 学士会館

 

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