東京徳島県人会 組織・入会案内

概要

目的

首都圏在住の徳島出身者の親睦を図る

入会資格

徳島県出身者及びその関係者

入会金

不要

年会費

(1口)2,000円

会員数

約400名(令和5年10月現在)
県人会会則

第1条

本会は,東京徳島県人会と称し,事務局を徳島県東京本部内に置く。

第2条

本会の会員は,徳島県出身者及びその関係者とする。

第3条

本会は,会員の親睦を計ることをもってその目的とする。

第4条

  1. 本会に会長1名,副会長及び理事若干名を置き,理事会は,互選により理事長,副理事長,常任理事及び会計担当常任理事を選出するものとする。
  2. 会務の円滑な運営を計るため会長は,顧問及び相談役を委嘱することができる
  3. 本会は,総会の議決により名誉会長を置くことができる。

第5条

会長,副会長及び理事は,総会において選出し,その任期は2年とする。但し,再任を妨げない。

第6条

会長は,本会を代表し,会務を掌る。

第7条

理事会は会長,副会長及び理事をもって構成し,本会の会務を行う。但し,必要がある場合は,理事長,副理事長及び常任理事をもって構成する常任理事会に,会務を処理させることができる。

第8条

総会の議決は,出席会員の過半数の同意を要する。

第9条

総会は,毎年1回これを開き,必要に応じ臨時総会を開くことができる。

第10条

  1. 本会の経費は,次の収入をもって充てる。
    一 会費
    二 寄付金
    三 その他
  2. 会費は年額(1口)2,000円とする。
  3. 役員会費を会費とは別に,年額(1口)3,000円とする。

第11条

会員は,住所その他,登録事項に変更が生じたときは,速やかにこれを本会事務局に通知しなければならない。

第12条

本会の会計年度は,毎年9月1日からはじまり翌年の8月31日をもって終わる。

附則

  1. この会則は,平成18年10月22日から施行する。
  2. 平成18年度に限り,その会計年度を平成18年10月22日から平成19年8月31日までとする。

附則(平成25年10月20日)

  1. この会則は,平成25年10月20日から施行する。
東京徳島県人会小史

江戸は諸国の吹きだまり」という言葉があるように、東京は昔も今も各地方の出身者が寄り集まっている寄り合い所帯の都市。

東京の総人口の中で三代続いている「純東京人」、いわゆる「江戸っ子」は10パーセント前後ではないかといわれている。従って東京には、組織や活動に大小の差はあるもののほとんどの府県の県人会がある。東京徳島県人会は、昭和15(1940)年の会員名簿に収載されている「緒言」によれば、明治20(1887)年ごろに「阿淡春秋会」というのがあり、 それが発展して大正15(1926)年に現在の東京徳島県人会が発足した。

この「緒言」の筆者は鈴江近太郎(1875~1954)である。鈴江は徳島市出身で、特許事務所を経営、当時県人会の事務局を同事務所内に置き、理事長を務めていた。

緒言を記した理由を「(県人会の)来歴ヲ後人二伝ヘンガ為メニ記載スルモノナリ」と述べている。

それによると「阿淡春秋会」は、徳島藩最後の第14代藩主・蜂須賀茂 韶(当時侯爵。1846~1918)を中心にして、その所領であった阿波・淡路出身の有志が集まって春秋2回例会を開いていた。

幹事は茂韶の意向によって選ばれ、長久館(徳島藩の藩校)国学教授、東京美校教授、東大講師(歴史家・文学博士)などを務めた小杉榲 邨(徳島市出身。1834~1910)が常任幹事、西野嘉右衛門、森六郎、三木與吉郎、藤田友三郎ら約1O人が幹事を務めたという。いずれも当時の有力者である。

会場も芝の紅葉亭・両国の福井楼・茅場町の草津など当時の一流料亭で茂韶は毎回出席、正面の上座に着席し、その左右に陸海軍の高級将校・勅任官・奏任官・平民の順に並んだ。

会費は3円50銭~4円、蜂須賀家から酒や金一封の寄付があり、芸者さんが座をもった。

毎回70人くらい出席したというが、当時の座順、当時としては高額の会費などから考えて、徳島と淡路島出身の当時の資産家や高級官僚が旧藩主を囲んで宴を催した、

現在の県人会とは、およそ縁遠い一部の人たちの親睦会であったようである。

このため茂韶死去後、会は一時中断、大正10年ごろに赤沢政助(阿波町(現阿波市)出身。1884~1971)が徳島県人会を組織したが、同12年の関東大震災で県人会どころではなくなったようで、

大震災で壊滅した東京がようやく復興した同15年、新たに東京徳島県人会が生まれた。鈴江は緒言の中で「大震災二当リ相当活動ノ便アリシニヨリ大二県人ヲ糾合シ相互懇親ヲナスヘキ機関ノ必要ヲ感ジタリ、

此時山口安憲(徳島市出身。元石川県知事。1887~1962)、鈴江近太郎等斡旋シテ在京徳島県人会ヲ起シ」と記している。

また四宮久吉(石井町出身。1895~1980)は雑誌「徳島」第2号=昭和26年3月 東京・徳島倶楽部刊=に寄稿した「東京徳島県人会その歩みと今後について」の中で、「大震災に遭遇し、県人相互が協力して被災者救済のため、いろいろ連絡し世話しあって、非常に効果があったことが動機となって、なんとか県人会相互の親睦と災厄等などの場合助け合う機関として県人会を創立したいという声が有志の間に起こり」設立されたと述べている。

四宮はこの文を寄稿した当時東京都議会議員(のち衆議院議員)で県人会の理事長である。

創立総会は、大正15年1月24日、日比谷の松本楼で開かれ、会長にわが国の薬学発展に功があった元東大名誉教授(理学・薬学博士)長井長義(徳島市出身。1845~1929)、副会長に安藝晋(鳴門市出身。元陸軍中将。
1873~1947)、理事長に鈴江、副理事長に久保義八郎(石井町出身。剣道家。元明治鉱業支配人。1889~1949)を推挙した。

その当日、会場屋上で撮影した記念写真を東京・田無市の佐藤彦次郎(市場町出身)が保存している。

長井会長と蜂須賀正韶(茂詔の長男で、当時貴族院副議長。1871~1932)を中心に98人が並んでいるが、佐藤によれば写っていない人があと10人くらいいたという。
以後、別表のように年2回総会を開催しているが、正韶は創立総会以来、総会には毎回出席、県人会と東京淡路会が連合して会を開いたり、三田網町の私邸で園遊会を催したりしたこともあった。

しかし正韶死去後、後を継いだ正氏(正韶の長男、鳥類研究家。1903~1953)の代になってから次第に蜂須賀家と県人会との間は疎遠になり、それに伴って淡路会との連合の会も少なくなった。
また、昭和12年に日中戦争が勃発、同14年12月に開いた総会を最後に、戦時中は中断のやむなきに至った。この間、出征兵士や戦病死者、それに戦災に遭って疎開する者が年を追って増加、一時は会合する代わりに郷土出身の傷病兵を慰問したりしたこともあったが、戦争の激化でそれもできなくなった。

いまさらながら暗い時代を感じさせる。
戦後初の総会が開かれたのは昭和22年7月25日で、会場は当時逓信大臣であった三木武夫(土成町(現阿波市)出身。元首相。1907~1988)の公邸=渋谷・代官山=である。そのころには戦時中、郷里に疎開していた人や出征していた人たちがぼつぼつ東京に戻りはじめ、山口安憲・井口誠一(脇町(現美馬市)出身。元日本加工製紙社長。1885~1958)・中西敏二(徳島市出身。元東京都議会議長。1884~1973)・四宮久古らが相談して、三木の大臣就任祝いを兼ねて再開。

この総会には約40人が参加、新たに会長に上記の山口、副会長に井口と中西、理事長に四宮を選び、新発足した。
創立総会で長井を会長に選任して以来、戦前・戦中の会長は大山卯次郎(徳島市出身。外交官・元サンフランシスコ総領事。1870~1939)・安藝晋・秋田清(池田町(現三好市)出身。元衆議院議長。1881~1944)、戦後山口の後は原安三郎(徳島市出身。元日本化薬社長。1884~1982)・堀江薫雄(鴨島町(現吉野川市)出身。元東京銀行頭取。1903~2000)・今川彦二(鷲敷町(現那賀町)出身。元住友大阪セメント社長。1923~2009)・金山良治(徳島市出身。元西松建設社長。1929~)・安崎暁(鴨島町(現吉野川市)出身。小松製作所顧問。1937~)・犬伏泰夫(徳島市出身。神戸製鋼所顧問。1944~)。理事長は四宮に次いで福富恒樹(阿波町(現阿波市)出身。元東京都経済局長。1903~1980)・東徹(徳島市出身。弁護士。1912~2001)・宮繁護(阿南市出身。元国土庁事務次官。1925~)・遠藤哲也(石井町出身。外交官・元駐ニュージーランド大使。1935~)・吉本修二(土成町(現阿波市)出身。元大蔵省造幣局長。1941~)・山岡祥宏(徳島市出身。励明園本舗社長。)・仁尾徹(井川町(現三好市)出身。元国立印刷局理事長。)・坂東自朗(阿南市出身。元警察庁交通局長。)と続き、現在の橋本圭一郎会長は平成28年度から、岡久宏史理事長は令和2年度から就任した。
総会の参加者は昭和37年以降200人を越え、一時は500人近くの参加があったもののここ数年は会員の変動などによって頭打ちの傾向が感じられないでもない。

県人会は多数の参加者があり、会員があってこそ郷土との結び付きが強まり、活動が活発になって、その存在意義が深まる。本名簿に漏れている県人をご存じの方は事務局までご連絡願うとともに、県人2世、3世の参加を期待したい。

(以上敬称は略させていただきました)

東京徳島県人会歴史

戦前・戦中の東京徳島県人会の主な会合

年月日会場会合名
大正15・1・24日比谷松本楼創立総会
11・28丸の内海上ビル中央亭第2回総会
昭和2・5・3同上第3回総会
9・22帝国ホテル蜂須賀正氏帰国歓迎会
11・27神宮外苑日本青年館第4回総会
昭和3・6・3丸ノ内海上ビル中央亭第5回総会
7・6華族会館秋田清内務政務次官就任祝賀会
11・17丸ノ内海上ビル中央亭第6回総会
昭和4・7・12神田小川町今文山口安憲鹿児島県知事就任祝賀会
11・24小石川後楽園第7回総会
昭和5・2・12赤坂溜池鳴門蜂須賀正氏渡欧送別会
10・9日比谷松本楼第8回総会
昭和6・4・27九段偕行社第9回総会
12・4同上第10回総会
昭和7・6・24新橋蔵前工業会館第11回総会
7・27芝浦いけす山口安憲石川県知事就任祝賀会
10・29新橋蔵前工業会館第12回総会
昭和8・5・14国技館第13回総会兼吉野岩(力士)後援会
11・25蜂須賀邸第14回総会兼阿淡連合園遊会
昭和9・6・6軍人会館第15回総会
11・18新橋蔵前工業会館第16回総会
昭和10・6・8清澄庭園第17回総会兼阿淡連合園遊会
11・23蜂須賀邸第18回総会
昭和11・10・7幸楽第19回総会
昭和12・10・16吉野屋第20回総会兼阿淡連合会
(この間、傷病兵慰問事業を続行)
昭和14・11・18植物園第21回総会兼郷土傷病兵慰安会
12・17醍醐第22回総会兼秋田清入閣祝賀会

(以後・戦後昭和22年7月25日に再開されるまで中断)=敬称略

歴代役員
役員総会
会長副会長理事長日時会場
昭和22山口 安憲7月25日逓信大臣官邸
昭和237月31日護国寺
昭和24中西 敏二、四宮 久宮、井口 誠一、天羽 英二、工藤 昭四郎5月13日護国寺
昭和2512月6日明治記念館
昭和2611月23日参議院会館
昭和27
昭和289月12日清澄庭園
昭和297月3日プリンスホテル
昭和30原 安三郎福富 恒樹10月23日品川プリンスホテル
昭和3111月17日赤坂プリンスホテル
昭和3210月12日赤坂プリンスホテル
昭和33天羽 英二、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、中西 敏二11月15日大隈会館
昭和34天羽 英二、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、中西 敏二、堀江 薫雄11月7日都市センター
昭和3511月26日都市センター
昭和3611月25日八芳園
昭和3712月1日八芳園
昭和3811月30日都市センター
昭和3911月23日椿山荘
昭和4011月20日椿山荘
昭和4111月12日椿山荘
昭和4211月25日椿山荘
昭和4310月19日勤労福祉会館
昭和4410月25日椿山荘
昭和458月8日椿山荘
昭和4611月27日高輪プリンスホテル
昭和47工藤 昭四郎、四宮 久吉、 中西 敏二、堀江 薫雄11月28日椿山荘
昭和4811月10日サンケイ会館ホール
昭和4911月9日サンケイ会館ホール
昭和50阿部 賢一、工藤 昭四郎、 四宮 久吉、堀江 薫雄
10月4日椿山荘
昭和5110月2日椿山荘
昭和529月10日椿山荘
昭和53阿部 賢一、四宮 久吉、 堀江 薫雄10月28日椿山荘
昭和54堀江 薫雄阿部 賢一、四宮 久吉11月24日サンケイ会館ホール
昭和55阿部 賢一、阿部 譲、 福田 久雄東 徹11月22日サンケイ会館ホール
昭和5611月21日サンケイ会館ホール
昭和5711月13日サンケイ会館ホール
昭和5811月19日サンケイ会館ホール
昭和59堀江 薫雄阿部 譲、大塚 正士、 廣岡 謙二11月17日サンケイ会館ホール
昭和6011月9日サンケイ会館ホール
昭和6111月8日サンケイ会館ホール
昭和6211月7日サンケイ会館ホール
昭和6311月12日サンケイ会館ホール
平成元11月11日サンケイ会館ホール
平成2今川 彦二、大塚 正士、 武原 はん、廣岡 謙二11月17日サンケイ会館ホール
平成311月16日サンケイ会館ホール
平成4今川 彦二東 徹、大塚 正士、曽我部 久、 武原 はん、廣岡 謙二宮繁 護11月7日サンケイ会館ホール
平成511月6日サンケイ会館ホール
平成611月5日サンケイ会館ホール
平成710月21日サンケイ会館ホール
平成8東 徹、大塚 正士、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、武原 はん10月19日京王プラザホテル
平成910月18日京王プラザホテル
平成10東 徹、大塚 正士、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久10月17日京王プラザホテル
平成11遠藤 哲也10月16日京王プラザホテル
平成12東 徹、金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、宮繁 護10月14日京王プラザホテル
平成13金山 良治、篠原 良男、曽我部 久、宮繁 護10月20日京王プラザホテル
平成1410月12日京王プラザホテル
平成1510月25日京王プラザホテル
平成16金山 良治篠原 良男、宮繁 護10月3日明治記念館
平成1710月10日明治記念館
平成18宮繁 護、安崎 暁10月22日ホテルグランドパレス
平成1910月6日明治記念館
平成20安崎 暁犬伏 泰夫、遠藤 哲也吉本 修二10月12日ホテルグランドパレス
平成2110月21日ホテルグランドパレス
平成2210月9日椿山荘
平成2310月22日有明ワシントンホテル
平成24犬伏 泰夫橋本 圭一郎、遠藤 哲也、吉本 修二山岡 祥宏10月21日有明ワシントンホテル
平成2510月20日有明ワシントンホテル
平成26橋本 圭一郎、遠藤 哲也、吉本 修二、山岡 祥宏仁尾 徹10月13日学士会館
平成2710月12日学士会館
平成28橋本 圭一郎宮田 孝一、遠藤 哲也、山岡 祥宏坂東 自朗10月10日学士会館
平成2910月9日学士会館
平成3010月8日学士会館
令和元宮田 孝一、山岡 祥宏10月14日学士会館
令和2宮田 孝一、坂東 自朗 岡久 宏史10月11日ホテルグランドパレス
令和3坂東 自朗書面開催
令和4坂東 自朗、東原 敏昭10月10日学士会館
令和510月9日学士会館
東京徳島県人会役員一覧

令和5年10月 現在 (五十音順)敬称略

名誉会長(2名)

  • 犬伏 泰夫
  • 金山 良治

会長(1名)

  • 橋本 圭一郎

副会長(2名)

  • 坂東 自朗
  • 東原 敏昭

顧 問(11名)

  • 小西 洋之
  • 塩田 博昭
  • 関 芳弘
  • 寺田 稔
  • 中西 祐介
  • 仁木 博文
  • 蜂須賀 正子
  • 山口 俊一
  • 山崎 正恭
  • 吉川 沙織
  • 吉田 とも代

相談役(3名)

  • 井内 康文
  • 仁尾 徹
  • 藤島 博文

理事長(1名)

  • 岡久 宏史

副理事長(2名)

  • 勝川 雅史
  • 森本 利男

常任理事(18名)

  • 大石 茂雄
  • 岡田 育大
  • 門田 誠
  • 郡 正直
  • 坂田 隼通
  • 髙尾 義彦
  • 徳元 康浩
  • 富永 大介
  • 長谷部 雄亮
  • 藤田 恭嗣
  • 藤本 登
  • 藤原 信一
  • 馬宮 加奈
  • 三橋 浩志
  • 元木 新
  • 若松 宗継

(会計担当)

  • 多富 和哉
  • 板東 克浩

理事(15名)

  • 井坂 義昭
  • 石原 浩
  • 磯崎 瑳登志
  • 臼木 郁登
  • 梅津 英明
  • 稼勢 恵一郎
  • 雁音 希久歌
  • 河野 昭宏
  • 川人 正幸
  • 佐藤 勝
  • 蔦 哲一朗
  • 林 納
  • 福村 富男
  • 向井 利典
  • 柳川 昌徳
東京徳島県人会活動内容

首都圏在住の徳島県出身者の交流・親睦を深めるために、年1回の交流会「県人の集い」を開催。
ふるさと徳島の最新情報の紹介、交流パーティ、阿波おどりの公演、県産品の販売等を実施。

開催日

毎年10月頃 12時30分~15時(予定)

会場

都内ホテル等

参加費

大人8千円
県人会入会申し込み

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